分断を超える

分断を超える

なかなか収まらない感染症の蔓延下で個人個人のふるまいが問われています。

私たちが経験したことがない規模のパンデミックですので、正解はなく、よりよい方法を各々が手探りで見つけていくしかないというのが現状です。

そんな状況下でエンターテイメントも大きな変化の波にさらされています。

音楽や映画など、集まって楽しむエンターテイメントは運営方法と収益のあり方を改めて変革する必要に迫られています。

出版はもともと個々人で楽しむことを前提としているものなので、電子書籍がより多くの読者に使われるなど、すべてが逆風ではないという比較的恵まれた状況にいると言えます。

しかし、まったく安心できないことは、長く続く感染症対策の日々に、多くのひとのこころが分断されていって、時間とともにそれがより強くなり、広がっていることです。

感染症対策への批判や要望しかり、個人や組織としての対応しかり、白や黒や灰色やその他の色で分断されて、誰もが自分の主張を掲げ、異なる考えを否定し排除することに躍起になっています。

これを分断と言わずに何というのでしょうか。

パンデミック前にはダイバーシティという多様性を受け入れることに注力していた社会がひとつのウイルスで、大きな後退を余儀なくされてしまったのです。

ひとはみな異なる考え方を持ち、自分なりに信じるもの、いわば(ちょっとおおげさですが)正義があります。

フィクションの世界のような明らかな善悪は実際の社会には適用しにくいのです。

ですから作家のみなさんには、いまこそ作品を通じて、ぜひとも分断された社会に、「ちょっと立ち止まってみてよ」「もしかしたら、こういう考えもできないかな?」「ほかのひとの考え方も聴いてみて、学んでみたら」というアプローチをしてみて欲しいと思います。

政治家や専門家が意見を述べる、主義主張を発表するという場面では、それに触れる誰もが、さあこの意見に自分は伸るか反るかと「身構える」ものです。

それに比して、作家が発信する文章には、読み手の懲り固まったこころをほぐし、楽しませながら、語りかける、すごいちからを込めることができます。

とはいえ、これもひとつの提案なので、私の考えにとらわれる必要はありませんし、気負う必要もありません。いつも通りに作品を発信するのも、もちろん自由です。

ただ作家のみなさんが、いま何ができるだろう?という疑問を創作活動の中で感じることがあれば、こんな視点を意識してみてはいかがかと思います。

いまこそ分断を超えるきっかけとなる作品が生まれてくることを願って……。