ランニングを再開

2011年4月1日、うつ状態が改善しないままですが北本心ノ診療所を開院しました。

周囲の方々は「おめでとう!」と言って下さるのですが、「この状況でいつまで続くか。明日にもダメになるかもしれない。」と不安でした。

死にたい気持ちは徐々に薄れていたので改善はしていたのでしょうが、やはり眠れなくて食事が喉を通らない状態は続いていました。

うつ病が再発する前に55kgだった体重は、3ヶ月の間に7kg増えていました。食事量はかなり減りましたが、運動を出来ていないことや薬の副作用での体重増加でした。

開業してしばらくは患者さんが少なく、何もしないでぼんやりする時間が多くありました。

1月末から仕事をしていなかったこと、そして4月以降も忙しくなかったことが結果的には良い休養となったようでした。また、薬もようやく効果を発揮し始めて、2011年6月頃からは気分も楽に食欲も安定してきました。「前みたいに、数日良くて油断して急に悪くなるのではないか。」という不安はありましたが、夏頃にはその不安も減ってきました。

そして、安定する中で何気なくランニングを再開しました。と言っても、最初からスムーズに走れたわけではありません。「走ろうと思ったけど、外は寒そうだからやめておこう。」「着替えてはみたけど、やっぱり外に出たくない。」「外に出て走ってみたけど、すぐ疲れて体が動かない。」などと、中々走り出せませんでした。

「1分しか走れなかった。」「5分しか走れなかった。」「前はもっと速く走れていた。」などと、走りに行っても落ち込むことのほうが多かったです。

なぜランニングを再開したのかはっきり思い出せませんが、「体重も増えたし、体を動かした方が良いかな。」という程度かもしれません。

前はもっと走れていたのに、半年くらいでこんなにも走れなくなるのか、と落胆していましたが、私の友人からの言葉で心に響いたことがありました。

「5分しか走れなかった。」と暗い気持ちで伝えたところ、その友人は「5分も走れたの?前は外に出てすぐ引き替えしていたじゃん。段々走れているね。」と返しました。

言われて、「確かにそうだ。」と妙に納得しました。フルマラソンを走っている自分からしたら5分なんて走ったうちに入らないのかもしれないけど、着替えることも出来なかった自分からしたら5分でも大きな変化です。

それからは、前にどれだけ走れたかは一切考えないようにしました。まず1分、それが出来たらもう1分、と目標を出来るだけ低くして、出来る範囲内で走ることだけを考えました。

抗うつ薬と睡眠薬の服用はずっと続いていましたが、少しでも効かないと私が待てずにコロコロ変えていました。しかし、結局一番効果があったのは、2011年1月に服用を開始した薬でした。色々と変えてみた結果、前に飲んでいたのを飲み続けるのが実は一番良かった。

精神疾患の薬物治療では良くある話しです。効果が出るまではじっくり待つということを頭では分かっていても、実際に体験すると想像を絶する苦しさでした。

私は幸い改善しましたが、薬が合わず年単位で待たないといけない方も多いのです。この苦しさを理解することなく、待つ必要があると無責任に説明していた自分を反省しました。

「自分だって苦しすぎて待てなかったのに、簡単に待てと言えるものではない。ただ、待てなかった結果回復が遅れた経験もしたからこそ、待つことの大切さは実感を込めて伝えないといけない。」そう理解しました。

とはいっても、順調に回復したわけではありません。2012年1月頃までは眠れなくなったり、だるさや不安、焦りが強くなったりと不安定でした。患者さんが徐々に増えていましたが、「やっぱり仕事を続けるのは無理かも。」「生き続ける自信がない。」そう思うことも度々ありました。

そんな中ですが、2011年11月になって一つの目標を私は立てました。

2011年2月に目標にしていたけど出られなかった、「別府大分毎日マラソン」に2012年2月に参加することでした。この大会は誰でも出られるのではないのですが、2年以内に3時間を切ってフルマラソンを完走している人は申し込むと無条件に参加出来ました。

うつ病が再発する前に出した2時間57分のタイムが、2012年2月の大会の参加資格を満たしていることに気付いたのです。

大会に参加するなどと到底考えられないような練習量でしたが、私は参加を決めて申し込みました。完走しようとか、タイムを出したいとかは考えられませんでした。ただ、「子供の頃からすごい選手が出ているのをテレビで観ていた大会に私も参加出来るチャンスはこれが最後なので、記念に参加したい。スタートさえ出来たら、後はどうなっても良い。」そんな気持ちでした。

2012年1月には3kmの大会に参加しました。2010年夏頃よりも1分30秒以上遅いタイムでしたが、とにかく大会に復帰出来たことが嬉しくてタイムの悪さは気にしませんでした。

そして迎えた2月の別府大分毎日マラソン。最後尾をのんびり走る予定でしたが、「練習不足でどうせ途中で潰れるのだから、2時間55分くらいのペースで走ってみよう。」と直前に心変わりしました。

20km過ぎから苦しくなって、30km以降は体の自由が利かず歩きたくなりましたが、それでも大会に参加している喜びが勝りました。テレビに映るような位置ではないのですが、テレビで観ていた大会を自分が走っている。そんな高揚感がありました。また、最後は体が動かず苦しくなりましたが、それでも「頑張れば3時間を切れる。」という思いが体を動かしてくれました。2時間59分と、ギリギリですが3時間を切り、当時の練習内容からすると充分すぎる結果でした。

この結果により、最初で最後の別府大分毎日マラソンのはずが、翌年以降も連続して参加することになるのですが。

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