唯一の心の支えを失った中学時代

低すぎる自己評価だけではなく、長距離選手として生まれ変わることが出来るという期待も抱いて中学生になりました。

そして中学では陸上部に入部。部内選考で選手に選ばれ、1年生の5月に初めての大会出場(1500m)が決まりました。

「ついに新たな人生の一歩を踏み出せる。」というワクワクし、早く試合の日が来ないか楽しみにしてついに迎えた試合当日。

競技場についた私は、これまで経験したことのない感覚に襲われました。

「怖い。ふるえが止まらない。お腹が痛い。吐きそう。」

ランニングは楽しいし、走れば褒めてもらえる。全力で走ることは苦しいけど、私には唯一の心の支えのはずでした。あれだけ楽しみにしていた陸上人生の始まりのはずが、経験したことのない状態になって私はどうして良いのか分からなくなりました。

分からないままですが、スタートの時間が来ました。スタート地点に30人以上が並び、その圧迫感のある状況に吐き気と恐怖がさらに増しました。

ピストルが鳴って一斉にスタートして、全員がものすごいペースで飛び出します。「え?このペースで1500mも走るの?」と頭の中は混乱しました。400mまでは最下位でしたが、吐き気と恐怖に耐えながらそこから順位を上げて行きました。

「やばい。追い上げなきゃ!」と思った所までは覚えていますが、そこからの記憶は断片的です。

気付いたらコース上でうずくまって吐いていました。

「何が起きてるの?」「でもまだ試合中だから走らないと。」と混乱したまま走り出しましたが、再びうずくまって吐き、完全に戦意を喪失しました。

監督だったのか、父親だったのか忘れましたが、コース外からの「もう止めろ!」というジェスチャーに反応してフラフラとコースアウトしました。なぜこのようなことになったのか全く理解出来ず、泣くしか出来ませんでした。

陸上選手として華々しくスタートするどころか、全員が注目している場所で吐いて恥をさらしてしまった。暗い気持ちで家に帰りました。家族で夕食を摂りましたが、誰も大会のことを話題にしませんでした。

その後、走ろうとすると自分がうずくまって吐いた光景が頭に浮かび、足がすくみました。すくむ足をどうにか動かして走り出しても、少し息が乱れると吐きそうになって立ち止まってしまいました。

楽しかったはずのランニングは吐き気を誘発する怖いものでしかなくなりました。症状はいつまで経っても改善しないどころか、走る時だけに出ていた吐き気が、食事をする時、バスや電車に乗る時、授業中といったように、日常生活の中でも出るようになりました。

やがて横になると吐きそうで息苦しくなり、夜も眠れなくなりました。

父親からは「何や、情けない!」「陸上なんか辞めい!」と怖い顔で叱責されましたが、それでも治りません。「他に何もやってもダメで、自分の心の支えだったランニングでもダメなのか。こんな人間は死ななきゃダメだな。」と自分を強く責めました。

1度病院を受診したこともあります。しかし、数分話しをしたところで医師から言われた言葉に絶望的な気分になりました。

「スポーツやりたいんでしょ?みんな乗り越えているんだから、君もそれくらい乗り越えなきゃ。病気じゃないんだから!」

どうやったら乗り越えられるのか、その方法が分からないから苦しんでいるのですが、それ以上何かを言う気力はありませんでした。

「分からない自分はやっぱりダメなんだ。こんなに苦しいけど、苦しむ自分が情けないんだな。だったらもう病院にも親にも、誰にも言わない。」そう強く認識しました。

結局、陸上部に在籍した中学3年間は走ろうとすると吐き気がつきまとい、力を発揮することは出来ませんでした。日常生活でも吐き気、食欲低下、不眠は続き、体のだるさがずっと抜けませんでした。練習には身が入らず、やる気のない部員と見られていました。そう見られることに対して「勝手にそう思ってくれ。」としか思えず、反発する気になれませんでした。

陸上選手になることだけが希望でしたから、それがなくなって何も目標はなくなりました。死のうと思って、家にあった市販の風邪薬を全部飲んだこともあります。しかし、そう簡単に死ねるものではなく、いつの間にか寝ていつの間にか起きて、吐き気と頭痛が強くなるだけで余計苦しくなりました。

それだけツラく死を願っているのに矛盾しているのですが、習慣的な勉強は続けていました。

通信教育の添削指導だけは毎月必ず出していました。勉強をしたいわけではありません。私が答案を書いて出すと、それに対して先生の添削とコメントが返ってきます。そのコメントが優しく温かく、顔も分からないけど優しく見守ってくれているという安心感がありました。絶望して死を強く意識していた私には、それが唯一の救いでした。添削とコメントを繰り返し見て、一人で泣いていました。

周りにいる誰にも心の内は明かす気持ちになれませんでした。もしかしたら受け止めてくれる人はいたのかもしれません。でも、「自分の悩みなんてどうせ大したことないと思われるだけ。話したら周りは軽蔑する。」そう決めつけていました。

強い孤独を感じている中で、通信教育でもらうコメントは人との唯一のふれあいとすら感じました。

もし「今の私」が、唯一の支えであったランニングに絶望してうつ状態になっている「中学生の私」に出会えたならどうしたでしょうか。

とにかく「中学生の私」の話しを否定せずに聞いて、つらい気持ちを受け止めることを繰り返すでしょう。「今の私」に話しをしている時間だけでも安心感を覚えてもらい、安心出来る場所を作ってもらうことを考えるでしょうね。

現実には、安心出来る場所を作ることは出来ず、治療を受けないまま、そして回復しないまま中学3年間を過ごしました。

中高一貫校なのでそのまま高校に進学するのですが、迷わず陸上部は退部しました。

陸上競技で活躍するという夢は消えましたが、「これで走らなくて良いんだ。」とホッとしただけでした。

食事の時に吐き気が出るので食事量は少なく、不眠も続くものの、陸上競技から離れると症状の程度は徐々に落ち着きました。

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