ケガを機に再びうつ症状が悪化

大学1年生の終わり、3月でした。気候が春めき、競技会シーズン開幕を間近に控えてますます練習量や質を高めて追い込んだ練習をしている途中、右太もも裏に激しい痛みを感じました。

今から考えれば、肉離れを発症しているのでしっかり休んで、治療に行く必要があります。しかし当時は、痛みを感じつつも「せっかくここまで練習出来るようになったのに、今頑張らないわけにいかない。」と考えて練習を続けました。

痛みは落ち着くどころか長引き、やがて右足に力が入らなくなってきました。走るたびに動きが悪くなり、やがて1歩も走れなくなってしまいます。

そんな状態で大学2年生の競技会シーズンを迎えました。冬場はあれほど楽しみにしていた競技会ですが、練習不足と強い吐き気で遅かった1年生の時よりもさらに遅くなっていました。

どうしたら良いのか分からず、でも休むのが怖くて色んな練習方法にチャレンジしました。しかし休まない、治療にも行かないという状況では回復するはずもありません。逆に走れなくなる一方でした。「休むと1年生の時の頑張りが無になる。病院には行かずに治さなきゃ。」という考えにとらわれて冷静な判断が出来なくなっていました。

そうしているうちに、走ると強い吐き気に襲われるという症状が再び強くなってきました。人前で食べようとすると吐きそうになり、倦怠感が強くなり、朝方まで眠れなくなる、そんな状態が段々と強くなりました。

走るのが怖い、苦しい、死にたい、その思いが徐々に強くなり、練習量は極端に減りました。お酒を飲むと、飲んでいる間は楽になったり、飲んだ後に少し眠れたりすることに気付き、お酒を毎日飲むようになりました。飲んでいる間はとても楽なのですが、飲んだ後に気分が落ち込み、ドキドキして不安が強くなったり落ち着かなくなりました。それを解消するためにまたお酒を飲んで、と危険な飲み方をしていました。

勉強する意欲もなく、大学には行ったり行かなかったりでしたが、試験直前に気を取り直して勉強してかろうじて進級は出来ました。

大学生になり、自分の不調が体の病気ではなく精神的な病気ではないかと薄々感じるようになりました。そこで、家から通える距離にある精神科クリニックを一人で受診しました。

しかし、中学1年生の時に病院を受診して、「それくらい乗り越えなきゃ。」と言われたことが依然として強く心に残っていました。

「本当にツラいことを話すと、また同じように言われてしまうのではないか。」と考えた私は、病気の症状についての書籍を読みました。

「気分が落ち込む、食欲がない、眠れない、というのは言っても大丈夫だな。死にたいというのは重症と思われて診察してもらえないかもしれない?じゃあこれは言わないでおこう。」というように、何を言えば良いかを決めて受診しました。

担当した医師は、私の話しに耳を傾けてくれました。しかし、深い話しをしたら説教されるという警戒心が強かった私は、表面的な話ししか出来ませんでした。一通り話しを聞かれた後、「うつ病だろうね。ご飯を食べられてないし、薬を飲んでみると良いよ。」そのように医師に言われて薬の処方が出ました。

薬の内容は忘れてしまいましたが、服用すると吐き気はより強くなり、食事をするどころではありませんでした。常に眠くてだるくて起き上がるのも苦しい。浅い眠りが1日中続く。1週間は服薬をしましたが、そんな状態が中々改善しません。良い変化としては、少し眠れることとお酒を飲まなくなったことがありました。しかし、それ以上服用することが難しく、1週間で勝手に薬の服用をやめてしまいました。やめると副作用は徐々に抜けて体が楽になるのですが、そうすると今度は症状として吐き気が強くなり、食事が摂れず、眠れなくなりました。

副作用が出たならそれを医師に報告し、薬を調整してもらうことが必要ですが、正直に話すことで何か強く言われてしまうのではないかと過度に恐れ、「薬は飲んでいます。眠れるようになったし、食事も食べられるようになりました。」と嘘を言いました。

病院の通院費が負担であったこともあり、数回で通院を中断しました。その後も時々余っていた薬を飲んでみましたが、1回でも飲むと吐き気や倦怠感が一層強くなって、楽になるどころか苦しくなりました。

走れるようになるかもと淡い期待を持っていたけどケガを機にその期待も出来なくなり、勉強についてもかろうじて留年を免れている状態でした。

「やっぱり自分は何をやってもダメな奴だ。」という思いが強く、大学4年生の秋頃までは何をするにも身が入りませんでした。

しかし、走ることに身が入らなかったおかげで、長引いた足のケガは徐々に回復し、右脚が完全にはまっすぐ伸びないものの足に力が入って走れるようになりました。