東京での新生活、再びランニングの道へ

東京大学理科3類に合格するという目標は達成できて、引き続き生きることにしました。

合格したことを周りの人々は「すごい!」と褒めてくれますが、私の心が浮かび上がることはありませんでした。燃え尽きてしまい、何をして良いのか分からない状態でした。

ただ、病状に変化はありました。もう勉強はしないでいいんだ。そう思うと、少しだけ眠れるようになり、少しだけ食べられるようになりました。大学入学前には48㎏まで減っていた体重は徐々に増えて、50㎏を超えていました。大学に入って身長が180㎝を超えたので、まだまだ軽いのですが。

大学に入学して東京での一人暮らしが始まりましたが、授業が始まってからも目標を見失った状態が続きました。

授業にも参加する気になれない。参加しても頭に入ってこない。そんな状態でしたが、頻繁にかかってくる親からの電話には「ちゃんと授業には出ている。周りにも馴染んでうまくやっている。」と嘘をついていました。

まだ走るのが怖い状態はずっと続いていましたが、「もしかしたら走っても吐くまでのことはなくなっているかも。勉強はやる気になれないけど、もしかしたら小学生の時みたい2また走れるかも。」そう根拠のない期待を持って陸上競技部の練習に参加しました。といっても、本格的に陸上競技に取り組む自信はなかったので、医学部生だけが入れる「鉄門陸上部」の練習に顔を出しました。

しかし、初回の練習で早速期待は打ち砕かれました。ウォーミングアップのジョギングを400mのトラック1周しただけで吐きそうになって、ついていけなくなりました。ついていけないペースではないのに、吐き気がこみ上げてまともに走ることが出来ません。

情けないと思いつつ、それを誰にも相談は出来ませんでした。しばらくは先輩方と一緒に練習はせず、一人でゆっくりジョギングをしたり、吐き気が出ない100mくらいの距離を何本も走ったり、ごまかしながら出来る練習をしていました。

それでも徐々に体力は戻り、1年生の冬場にはかなり練習が出来るようになっていました。大会に参加するとやはり強い吐き気に襲われて足がすくんでしまいました。練習とは別人の走りでしたが、それでも途中棄権することなく走り切ることが出来ただけで毎回ホッとしていました。

走れるようになると、少しですが勉強する気力も戻りました。全国1位の面影は全くなく、留年するかどうかギリギリの際どい成績でしたが。

人と話をするのは依然として億劫に感じていたので、対人交流は入学当初から変わらず希薄でした。しかし、全体としては入学当初よりも確実に調子が上向いていることを実感できました。睡眠の質も入学当初より改善していましたし、食事量も普通の人の量に近付いていました。

死にたいという気持ちはずっと心の中にありますが、高校時代のように遺書を書こうと思うことはなく、「死にたいけど、今すぐじゃなくてもいいか。」というくらいでだいぶ薄れていました。

一人暮らしをして両親から遠く離れたことも病状改善に向かう要因の一つでした。頻繁に連絡は来て、時々東京にやっては来るものの、実家に暮らしている時のように威圧的な接し方をすることもなく、両親がショックを受けて吐いて倒れる姿を見ることもなくなっていました。

大学1年生の終わりになると30㎞の大会に自主的に申し込んで走ったり、ランニングへの意欲が増していました。競技会とは違ってお祭りのような面もあるマラソン大会の雰囲気や参加賞が嬉しくて、走ることへの意欲がさらに高まっていました。

「2年生になって競技会が始まれば、初めて陸上競技で良い成績が出るかもしれない。」そんな楽しみも感じられるようになっていました。

しかし、調子が上がってくるからどんどん練習をしよう、と走ることばかり考えていて、体のケアをおろそかにしていました。高校3年間何も運動しておらず、体力が落ちていた私の身体はある時限界を超えてしまいました。