「庶民グルメの街」西成玉出~玉出商店街から生根神社へ~

 八月最後の今日は大阪西成の玉出界隈を散策した。玉出と言えば安売りのスーパー玉出の本拠地で庶民の食とグルメの街だ。
 南海本線岸里玉出を下車し駅高架下のパンの玉出木村屋を振出しに玉出本通商店街に入って和洋菓子・千慕里庵を過ぎた辺りで商店街を外れて玉出公園で小休止。その後国道26号を越え玉出西公園から玉出中学の脇を抜けて肥塚味噌本社前をUターン。地元名産の「勝間(こつま)南瓜」の記念塚(写真)がある生根神社へ。参拝後見るともなしに境内の隅に自然石風の歌碑を見付けた。寄贈者は浜村淳と記されてあった。後で調べたら映画評論とラジオパーソナリティで有名なあの浜村淳さんに間違いなかった。浜村さんは生根神社への崇敬の念篤く毎年夏祭りに欠かさずお詣りするとのこと。今日もまた予期せぬグリコのおまけを貰った(笑)などとほくそ笑みながら元の国道26号に戻り世界のお酒ニューヨーク((株)足立)の店頭を覗いた後26号沿いを伝って大阪メトロ四ツ橋線玉出駅前の会津屋へ。ここが知る人ぞ知る元祖たこ焼・ラヂオ焼の会津屋本店だが,残念なことにまだ開店前だった。折角楽しみにしてたのに当てが外れた。これもまたグリコのおまけか?(笑)。[2020.08.31筆]

大阪日本橋「でんでんタウン」

 久しぶりに大阪日本橋を訪ねた。高校時代アマチュア無線好きの友人に連れられて以来勤め出してからも暫くは結構日本橋のでんでんタウンをブラついたものだ。JR新今宮を下車し阪堺チン電沿いを北進。通天閣本通奥に聳える通天閣(写真)を振り返り阪神高速の高架を潜ってでんでんタウンへ。歯の抜けた櫛のように所々シャッターが閉まる小型家電店を左右に見ながら暫し往事の賑わいに想いを馳せた。その後愛染橋病院裏の秩父宮同妃両殿下台臨記念碑に立ち寄った後上新電機本社前へ出た。かつてこの上新とニノミヤ無線が「日本橋の両雄」と言われでんでんタウンの隆盛を牽引したものだが,今やヨドバシやビッグカメラの東京資本に押され唯一上新のみ気を吐く構図になった。そんなことを思いつつ上新本社を後に明治の昔にあった有宝地遊園地の眺望閣(五階建て高さ31mのパノラマ塔)跡から五階百貨店(眺望閣近辺に並んだ露店が後に集合定着した小店舗群)を覗いた後でんでんタウンを離れて羽呉神社(はきもの神社)まで足を伸ばした。この辺りは昭和30年代まで履物問屋街として栄えたと言う。今も何軒か靴や履物屋が並んでいた。帰路は黒門市場から道頓堀を抜け大和路線JR難波にゴールした。[2020.08.27筆]

旧南海高野線廃線跡,トトロ街道サイクリングロードを歩く

 大阪河内長野から和歌山橋本へ向かう南海高野線沿いに真っ黒くろすけが出そうな緑豊かなトトロ街道と言うサイクリングロードがあるといつだか友に聞いた。すっかり忘れてたのを急に思い出し訪ねてみた。トトロ街道とは1995年(平成7年)に河内長野~橋本間の複線化完了を受け南海高野線沿いの河内長野三日市から天見まで約5㎞の旧線廃線跡に整備された自転車道のことだ。そんなトトロ街道を逆行すべく終点の南海高野線天見駅前をスタート。高野街道(国道371号)と現高野線の間を付きつ離れつ並行しながら晩夏のミンミン蝉やツクツクボウシの声を頭上に浴び木洩れ日の自転車道を河内長野市街へ向かった。途中二組のレンタサイクルのおねーさん連中と擦れ違っただけの人気のない道行きだった。トトロ街道は千早口駅を過ぎた辺りで山間の道から微風に棚引く稲穂が眩しい田園風景へと姿を変える。近くに流れる天見川清流の涼気を感じつつ一時間余りで起点の高野線三日市町2号踏切に辿り着き帰路は高野街道を経て三日市町駅にゴールした。
 写真は天見駅前の案内板だ。今年もまたキバナコスモスが咲いた。後何回この花の咲く景色を愛でることが許されるだろうか。[2020.08.24筆]

ウォーターフロント,安治川下流を歩く

 小説が書けないからか?何だか近頃歩きに出る回数が増えた(笑)。予報では本日の大阪の最高気温は38℃だと言う。同じ炎天下を歩くならせめて水辺を・・と今日は安治川下流を訪ねた。JR環状線西九条を下車。阪神なんば線の高架沿いを南下し安治川隧道へ。川底に潜る隧道は冷ややかで心地良い。涼みがてらにもってこいだが,そんな束の間の涼も対岸に上がれば情け容赦ない熱風に襲われ元の木阿弥(笑)。吹き出す汗を拭いつつ安治川左岸を遡って河村瑞賢紀功碑・古川跡碑→大阪電信発祥の地碑・川口運上所跡・大阪開港の地碑→富島天主堂跡と辿った。この辺りの川口地区は1868年(明治元年)旧大阪港として開港。外国人居留地も設けられ一時賑わいを見せたものの元々水深が浅く大型船の出入りに不向なため次第に衰退したと言う。富島天主堂跡から大通りに出て木津川や堂島・土佐堀川と合流する辺りまで東進した後船津橋を渡り安治川右岸の中央卸売市場へ。市場前の川辺は中之島ゲートパークストリート(写真)と名付けられた水辺の遊歩道が整備され市民の憩いの場になっている。暫し木蔭のベンチで川面を眺めながら小休止。その後野田緑道を伝い環状線高架下まで出て元のJR西九条にゴールした。[2020.08.21筆]

メディアの街,扇町界隈

 前回に引き続き大阪の中心部を散策した。扇町界隈は関西テレビや読売新聞の社屋があるメディアの街として知られるが,元々堀川監獄(大阪監獄)があって堺に移転(現在の大阪刑務所)後の1923年(大正12年)末に跡地に扇町公園が整備された。
 本日は扇町公園をスタート・ゴールにした軽めのウォーキングコース。JR環状線天満を下車し扇町公園と隣接する関テレ本社やキッズプラザが入居するカンテレ扇町スクエアへ。暫しロビーで涼み扇町公園をぐるりと一巡りした後公園を後に扇町小学校と天満中学校の間を西進。扇町教会の角を曲がり綱敷天神から淀君の墓がある太融寺を経て野崎公園越しに読売新聞大阪本社を見上げながら元の扇町公園へと戻った。扇町公園の南西角は今は八幡屋公園に移った旧大阪プールがあった場所で当時の面影を偲ぶ飛込み台(写真)がオブジェとして残されている。そう言えばここのプールは国際水泳大会の会場になった所で多数の観客席が設けらていた。誰から聞いたか忘れたが,日本プロレス草創期の頃ルー・テーズ対力道山のNWA世界ヘビー級選手権もここで行われたと言う。そんなことを思い出しながら扇町公園をもう一周してJR天満へ戻った。[2020.08.19筆]

幕末維新の足跡~適塾から大坂海軍塾跡へ~

 今日は久しぶりに大阪の中心街を訪ねた。中之島を流れる土佐堀川の南。堺筋と御堂筋の中間を南北に走る三休橋筋には緒方洪庵が開いた蘭学塾適塾をはじめ幕末維新を偲ぶ縁が点在する。・・てな訳で(笑)メトロ堺筋線北浜を下車。駅前交差点角の大阪証券取引所ビルの前に建つ五代友厚像を振出しに旧鴻池家本宅跡を経てお目当ての適塾(写真)へ。大村益次郎・福澤諭吉・橋本左内ら幕末維新の偉人を数多く輩出したことで知られる適塾には手塚治虫の曽祖父手塚良仙も籍を置いたと言う。生憎月曜は閉館日で残念ながら入館できなかったが,熱中症対策のためミストが噴霧される庭先のベンチで小休止。小憩後適塾裏の銅座跡・愛珠幼稚園に立ち寄った後風情あるガス燈が点る三休橋筋を南下。西郷隆盛と行動を共にし鹿児島錦江湾に身を投げた勤王僧の月照生誕地から大坂海軍塾跡へ。勝海舟が神戸海軍操練所を作る前の約半年間この地の専称寺に海軍私塾と自身の仮住まいを構えたと言う。今はもう当時を偲ぶ面影一つなく在りし日の海舟や龍馬の息遣いを想像しながら三休橋筋をさらに南下。最後は海援隊の近藤(饅頭屋)長次郎が娶った妻お徳の実家大和屋弥七邸跡まで足を伸ばしメトロ御堂筋線本町にゴールした。[2020.08.17筆]

信貴山麓,朝護孫子寺から竜田古道へ

 お盆だからと言う訳でもないが,久しぶりに信貴山朝護孫子寺を訪ねた。近鉄生駒線信貴山下を下車しかつて東信貴鋼索線が走った坂道を上って西和清陵高校前からケーブル跡のハイキング道へ。もう十年以上前のことだが,この廃線跡の遊歩道の途中に偶然見付けた黄色い置き傘を見て不意に涙が溢れた。「すぐ忘れられるちっちゃな親切でよかったのに・・」亡き人のくぐもった声がまるで昨日のことのように甦る。せめて人の心動かす小説を書きたいと募る想いと裏腹に拙作『僕たちの時代』の後にっちもさっちも書けなくなった。これでは生きながらえる意味がない(笑)・・と心の中で溜息を付きながら廃線跡を抜け信貴山バス停前に出た。トイレと水分補給の後バス道を伝いながら途中大門ダムにできた真新しい湖畔公園(写真)に寄り道して朝護孫子寺に到着。参詣後開運橋を渡って参道の土産物屋で焼きたての草餅を買った。帰路はとっくり湖の方に下ってJR三郷を目指したつもりが,途中で道を間違え気が付けば竜田古道の里山公園が間近に見えた。今さら引き返すのも癪に障ると(笑)そのまま道を下って亀の瀬から峠八幡を経由。竜田古道を通ってJR三郷へ。結局二万歩を超す長距離ウォークになった(笑)。[2020.08.14筆]

八尾空港(その二)

 昨日の八尾空港周辺は何と38℃の最高気温を記録したとウェザーニュースが報じていた。さぞかし今日も暑いことだろう。なのに何を好き好んで・・と思いながらまたしても八尾空港を訪ねた(笑)。前回は空港裏手を四半分ほど歩いたが,今日は飛行機が多く待機する正面側を散策することにした。
 往きは電車を使わず自宅から小一時間かけ八尾空港まで歩いた。前回と反対方向の平野川沿いを進んで北壕緑地から日中開放された空港専用道に入って航空会社の建物が並ぶ遊歩道を立入禁止の突き当たりの滑走路前まで歩いた。
 八尾空港は陸上自衛隊や消防・警察航空隊のほか民間チャーター便の遊覧飛行や航空宣伝・写真測量を行う小規模な航空会社が軒を連ねている。今時のことで世界遺産の仁徳天皇陵遊覧飛行とかもあるようだ。考えてみれば南紀白浜まで所要時間35分。名古屋・高松だと45分だ。料金にもよろうが,鉄道や高速バスに比べ随分短時間で到着できる。もう少し若くて貯蓄もあれば自家用操縦士のライセンスを取得し好きなだけ空中散歩を楽しむも良かろう・・などとぼんやり思いながら暫し滑走路前の駐車場に佇んだ。その後自販機の冷茶を一気飲みし帰路はJR大和路線志紀まで出た。[2020.08.11筆]

八尾空港周辺,在りし日の飛行師団に想いを馳せつつ

 長い梅雨が明けたら今度は連日茹だるような猛暑。今日は大空へ飛び立つ飛行機を見ようと(笑)久しぶりに近場の八尾空港を訪ねた。JR大和路線志紀を下車し歩き始めようとしたら駅前ロータリーのバス停に目が止まった。大阪バス?・・そんな会社あったかいな?とその場でスマホ検索したら2002年設立の北海道から近畿まで幅広いエリアで貸切・高速・路線バスを運行する大きなバス会社だそうだ。何とか日々に疎し。苦笑いしながら駅前商店街を抜け志紀町西二丁目公園へ。案内板に「見える下水道公園」とある。なるほど。ドームの下を流れる下水道を窓越しに眺められる仕組みになっていた。公園の片隅に真新しい石碑が建っていたのに気づき近寄ると「陸軍航空隊第十一飛行師団司令部跡」(写真)の碑。拙著『僕達の時代』の中で沖縄戦の特攻に志願した母校の先輩が鹿屋基地を飛び立つ前日食堂の女将さんに言わしめた「生きて虜囚の辱めを受けよ!」の言葉をふと思い出した。当時大正飛行場(現八尾空港)と呼ばれたこの地にも似たような物語があったかもしれない・・などと想像の翼を拡げ自衛隊八尾駐屯地脇から一周7kmの八尾飛行場の周回道を四半分ほど回って引き返し西弓削公園にゴールした。[2020.08.06筆]

天王寺,ベルリンの壁から大阪関帝廟へ

 以前朝日放送のナニコレ珍百景に取り上げられた天王寺の統国寺境内に本物のベルリンの壁の一部があると随分前友に教えられたことを思い出し久しぶりの天王寺参りのついでに訪ねることにした。
 JR天王寺を下車。てんしば脇を抜け市立美術館前から茶臼山へ。大坂夏の陣で真田幸村が本陣を構えた古戦場跡に立ち寄った後天王寺公園と茶臼山に囲まれた閑静・・ではあるが,参道脇にラブホテルが並ぶ(笑)お目当ての統国寺を訪ねた。境内の右手にそのベルリンの壁(写真)はあった。1998年信徒から喜捨された崩壊前の大きさそのままの西独側の壁だ。朝鮮民族統一を祈願し在日朝鮮仏教徒協会傘下のこの寺に奉納されたと言う。この壁にはきっとイムジン河と同じ想いが込められているに違いない。在日二世の旧友の日焼け顔を思い浮かべながら谷町筋を東へ渡った。庚申堂から清水井戸地蔵の角を上がって竹本義太夫墓所がある超願寺を経て清寿院(大阪関帝廟)へ。生憎門扉が閉じられ中には入れなかったが,江戸明和の昔からある廟所なので明治にできた横浜中華街や神戸の関帝廟より歴史は古い。その後目と鼻の先に見えた四天王寺の東門を潜って本日のゴールとした。[2020.08.04筆]