八尾空港周辺,在りし日の飛行師団に想いを馳せつつ

 長い梅雨が明けたら今度は連日茹だるような猛暑。今日は大空へ飛び立つ飛行機を見ようと(笑)久しぶりに近場の八尾空港を訪ねた。JR大和路線志紀を下車し歩き始めようとしたら駅前ロータリーのバス停に目が止まった。大阪バス?・・そんな会社あったかいな?とその場でスマホ検索したら2002年設立の北海道から近畿まで幅広いエリアで貸切・高速・路線バスを運行する大きなバス会社だそうだ。何とか日々に疎し。苦笑いしながら駅前商店街を抜け志紀町西二丁目公園へ。案内板に「見える下水道公園」とある。なるほど。ドームの下を流れる下水道を窓越しに眺められる仕組みになっていた。公園の片隅に真新しい石碑が建っていたのに気づき近寄ると「陸軍航空隊第十一飛行師団司令部跡」(写真)の碑。拙著『僕達の時代』の中で沖縄戦の特攻に志願した母校の先輩が鹿屋基地を飛び立つ前日食堂の女将さんに言わしめた「生きて虜囚の辱めを受けよ!」の言葉をふと思い出した。当時大正飛行場(現八尾空港)と呼ばれたこの地にも似たような物語があったかもしれない・・などと想像の翼を拡げ自衛隊八尾駐屯地脇から一周7kmの八尾飛行場の周回道を四半分ほど回って引き返し西弓削公園にゴールした。[2020.08.06筆]

天王寺,ベルリンの壁から大阪関帝廟へ

 以前朝日放送のナニコレ珍百景に取り上げられた天王寺の統国寺境内に本物のベルリンの壁の一部があると随分前友に教えられたことを思い出し久しぶりの天王寺参りのついでに訪ねることにした。
 JR天王寺を下車。てんしば脇を抜け市立美術館前から茶臼山へ。大坂夏の陣で真田幸村が本陣を構えた古戦場跡に立ち寄った後天王寺公園と茶臼山に囲まれた閑静・・ではあるが,参道脇にラブホテルが並ぶ(笑)お目当ての統国寺を訪ねた。境内の右手にそのベルリンの壁(写真)はあった。1998年信徒から喜捨された崩壊前の大きさそのままの西独側の壁だ。朝鮮民族統一を祈願し在日朝鮮仏教徒協会傘下のこの寺に奉納されたと言う。この壁にはきっとイムジン河と同じ想いが込められているに違いない。在日二世の旧友の日焼け顔を思い浮かべながら谷町筋を東へ渡った。庚申堂から清水井戸地蔵の角を上がって竹本義太夫墓所がある超願寺を経て清寿院(大阪関帝廟)へ。生憎門扉が閉じられ中には入れなかったが,江戸明和の昔からある廟所なので明治にできた横浜中華街や神戸の関帝廟より歴史は古い。その後目と鼻の先に見えた四天王寺の東門を潜って本日のゴールとした。[2020.08.04筆]

河内松原,下高野街道から長尾街道へ

 長い梅雨がようやく明けそうだ。とは言え今日は俄雨もありそうなので近場の河内松原を歩くことにした。
 近鉄南大阪線河内天美を下車し国の有形文化財に指定された嶋田家住宅を振出しに阪南大キャンパス前を北上。大和川堤防の手前を左折西進し阿麻美許曾神社に参詣後下高野街道を南下した。この辺りの町名表示は東住吉区矢田となってて大和川を越えた南にまで大阪市の管轄区域があることを初めて知った(笑)。
 下高野街道を歩き始めるたらすぐ路肩に久多美大神の額が掲げられた大きな石の鳥居に出会した。奥に覗く本殿も至極立派な造りだった。境内に入って由来の説明板を見ると関西出雲大社久多美神社と言い「久多美大神の化身の久多美様の御母堂桝田ミツ比女命に依り此処天美の聖地に創設された」とある。出雲大社所縁の新興宗教だろうかなどと想像を膨らませながら街道を南下し突き当たりの西除川へ。下高野街道はここから暫し西除川の右岸を進むが,車の通行量が多いので橋を渡って左岸の遊歩道を歩いた。途中北新町大池公園(写真)に寄り道して小休止。その後長尾街道と交わる布忍神社前まで西除川沿いを歩きそこから長尾街道を伝って高見ノ里にゴールした。[2020.07.30筆]

八尾,古民家と成法せせらぎの小径

 先日ネットでウォーキングコースを調べてて大阪八尾市に成法せせらぎの小径と言う全長約1kmの散策水路を見付けた。市制60周年記念に整備されたものらしい。今日は朝寝坊したので(笑)近場のそこを訪ねようとJR大和路線八尾を下車。駅前の渋川神社を皮切りに安中新田会所跡(旧植田家住宅)に立ち寄った後JR線の踏切を渡り線路沿いにある親水公園の安中町五丁目公園へ。小憩後長瀬川を越えお目当ての成法せせらぎの小径に入った。水路を伝う細い遊歩道を時間をかけてゆっくりと歩いた。せせらぎの小径を抜け大通りを渡ると江戸中期に石田善右衛門が設けた私塾・環山楼が右手に現われた。立ち止まって説明板を黙読した後八尾市役所の角を曲がって板倉家住宅まで足を伸ばした。何軒かの古民家が軒を連ねる中にあって今は與兵衛・桃林堂の屋号の和菓子になっていた。帰路近鉄大阪線八尾に向かう道すがらアーケード商店街の一角に偶然河内音頭記念館の看板を見付けた。何でも八尾市の魅力大使に任命された御当地出身の「音頭取り」河内家菊水丸が館長だそうだ。そう言えば市役所の玄関脇にも河内音頭を踊る銅像が建ってた。そうだ。八尾と言えば今東光の『悪名』八尾の朝吉と河内音頭の街なのだ。[2020.07.22筆]

奈良斑鳩町・河合町,竜田公園から大城橋へ

 前々から気になってたのだが,JR大和路線の王寺-法隆寺間の丁度真ん中辺りを流れる大和川の鉄橋に差しかかるとそこから少し下流に架かる一本の沈下橋が見える。前回安堵町を歩いた時にも車窓に見えたので次はこの沈下橋を訪ねようと決めていた。
 JR大和路線王寺を下車。行きがけの駄賃でもないが,JRと近鉄線に挟まれた舟戸児童公園のD51機関車を見てから北上し三室山麓から竜田川の右岸に出た。秋は紅葉が綺麗な川辺の竜田公園を暫し散策。その後竜田川緑地の手前を対岸に渡ってUターン。今度は竜田川左岸を下流へ。途中休憩がてら岩瀬の森跡の案内板に立ち止まったりしながら合流点の大和川右岸堤防を左折東進。JR線の踏切を越えたらほどなく眼下に件の沈下橋(写真)が見えた。奈良県内に唯一遺ったこの幅2m程の沈下橋は大城橋と言い斑鳩町と河合町を結ぶ生活橋だ。木造ではなくコンクリート橋で普通乗用車も通行できると言う。残念ながら時代劇の撮影はできないが,それでも中々の風情だ・・などと何度も行きつ戻りつ名残を惜しみながら対岸の河合町の堤へ。帰路はこの前河合町の水辺の池畔を巡ったときと同じ近鉄田原本線大輪田にゴールした。[2020.07.20筆]

奈良安堵町,木戸池から安堵中央公園へ

 列島各地に甚大な被害をもたらした梅雨の豪雨・・。今日は束の間の晴れ間が覗いたので暫くぶりに歩きに出た。JR大和路線法隆寺を下車し馴染みの富雄川へ。大和路線の線路近くの富雄川左岸に木戸池という小振りの池があってかつて池の真ん中を東西に走った天理軽便鉄道跡の築堤があると言う。天理軽便は戦前天理教信者の交通の便を図るため法隆寺-天理間を結んだ鉄道軌道で二,三年前に一度富雄川に出るまでの廃線跡を辿った憶えがある。今日はその時見逃した木戸池を訪ねたという次第だ。池中の煉瓦造りの橋脚跡が往事を偲ぶ面影を残していた。想像を巡らせつつ池畔を一回り。その後富雄川を対岸に渡って堤防の自転車道を北上し馴染みの上宮遺跡公園へ。トイレ休憩後もう一度新業平橋を対岸に渡って業平道の広峰神社・業平姿見の井戸を経て太子道を南下。西名阪道の高架下を潜ってゴールの岡崎川沿いにある安堵中央公園に到着した。
 写真は中央公園と道路一つ隔てた斜向かいの田圃の中にあったかかし公園に聳える高さ12mの聖徳太子のオブジェ案山子。人口一万人を目指す安堵町の町おこしプロジェクトだそうだ。グリコのおまけ。これだからウォーキングは楽しい(笑)。[2020.07.16筆]

奈良河合町,水辺の散歩コース

 次は何を書こうかと思案中だが,今思い浮かんでいるのが,大正浪漫漂う古書・骨董品店『珍品堂』に出入りする怪しげな人々の人生を振り返る連作小説はどうか・・などと想像の翼を拡げたりしている(笑)。
 閑話休題。明日以降また梅雨空が続くとのことだから今日歩いておくことにした。ネットで見付けた「まほろば水辺の散歩」と題する奈良河合町の池畔の公園巡りのコースを初歩きした。近鉄田原本線佐味田川を下車し駅前の町民グラウンド横の坂道を上って高台の新興住宅地へ。この辺りはシガゾウをはじめ大型動物の化石が出土した土地だと言う。高台を上りきった西名阪道の手前にある釘池池畔の公園で一休み。その後隣接する河合町文化会館・図書館を横目に西名阪に架かる高架橋を渡って中山田池公園へ。池畔の遊歩道を一巡りした後住宅地の幹線道沿いに「芸術の小径」を下り河合町役場出張所横の赤田池公園(写真)を経て近鉄大輪田にゴールした。携行したマップでは大輪田を越えて北上し突き当たりの大和川沿いの二,三の遺跡を訪ね佐味田川へ戻るルートだが,年のせいか近頃五,六kmを超えると疲れが溜まるから長距離コースは途中で勝手にゴールすることにしている(笑)。[2020.07.02筆]

信貴山麓,辻ノ垣内瓦窯跡から三郷中央公園へ

 ウォーキングを始め十五年近くも経つと遠出しないと中々初めて歩く場所が見付からないものだが,昨日ネットで偶々信貴山麓のウォーキングマップを見付けた。まだ歩いたことのない幾つかのコースがあって今日はその中の三郷の勢野地区を訪ねた。
 近鉄生駒線勢野北口を下車。駅前を流れる信貴川沿いから細い山道を上って真新しい新興住宅地が並ぶ高台に出た。眩しい夏の日を浴びながら整然と軒を連ねる住宅街の幹線道を更に上って突き当たりの勢野グラウンドの角を左折。山肌に広がる葡萄畑を横目に進めばほどなく奈良学園大の信貴山グラウンドと道一つ隔てハートランドしぎさん看護専門学校の校舎が見えた。一般の学び舎とは異なる部分もあろうが,この学舎に集う者の青春の日々やらこの新興住宅地の一角に暮らす自分自身の未生の現在をふと想像してみる。こんな山麓の老人ホームの縁側の陽だまりに佇んで終日在りし日の想いを追う終活も楽しかろう。そんなこんなを思いつつ高台を下り途中の小公園に隣接した辻ノ垣内瓦窯跡(写真)に立ち寄って秋留八幡神社に参拝。その後近鉄生駒線の高架を潜り三郷中央公園・ウォーターパークを経てJR大和路線王寺にゴールした。[2020.06.29筆]

東除川散策,東除公園からしなづせせらぎの道へ

 長篇小説『僕たちの時代』を書き終え何だかまだ放心状態?のまま(笑)。書きたい題材が見付かるまで暫時小休止だ。
 さて天気が崩れる前に近場歩きを・・とこの前河内松原の大海池を訪ねた折歩いた東除川を散歩することにした。近鉄南大阪線恵我ノ荘を下車し線路沿いを突き当たりの東除川へ。取り立てて何の変哲もない(だから心落ち着く・・笑)左岸の生活道路を向野方面に遡って歩いた。途中東除公園(写真)で小憩後府道31号線の手前まで進んでUターン。今度は右岸沿いに元の南大阪線の高架下を潜り久しぶりにしなづせせらぎの道を訪ねた。
 友とこの道を初めて歩いてから十年以上の歳月が流れた。いつだか友に教わり『僕たちの時代』の心象風景にも使ったポール・ヴァレリーの詩が脳裡に浮んだ。
湖に浮かべたボートを漕ぐように
人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない
 残り少ない私の未来の風景はタカが知れたものに違いあるまいが,それでも私は未生の現在を夢見る。「ときめく心ある限り・・『僕たちの時代』は終わらない」と。[2020.06.26筆]

葛下川散策,相聞の広場からせせらぎ公園へ

 今日は奈良畠田の明神山山頂「誓いのテラスSORANI」を訪ねるつもりでJR大和路線王寺を降りたのだが,駅前から王寺町マスコットの雪丸(聖徳太子の愛犬)ロードに沿って葛下川の遊歩道を歩くうち何だかこのまま川辺を散歩したくなり(笑)予定変更し葛下川を遡って散策することにした。
 JR和歌山線に沿って右に急カーブした葛下川の遊歩道にはいつの間にか桜の苗木が等間隔に植えられ1km以上続いていただろうか。知らぬ間に歳月は過ぎゆく。この桜並木が満開の花を咲かせる頃までこうして歩ければいいのだが・・。そんなことを思いつつ葛下川左岸の遊歩道を進み相聞の広場(写真)でトイレ休憩。相聞は中島みゆき嬢の同名のアルバムを聴いたとき初めて知ったのだが,互いの安否消息を通じ合うことから転じ『万葉集』に詠まれたような男女間の「恋歌」を意味する。そう思えば中々粋な命名だ。休憩後せせらぎ公園を越えた後右岸に渡ってUターン。帰路田植えの終わった水田の奥にやたら立派な施設風の建物とその横の小高い丘に展望広場が見えたので道草がてらに立ち寄れば静香苑という葬儀場だった。何だか今日もまた一つ「グリコのおまけ」を貰ったような?・・笑。[2020.06.23筆]