ランニングで得られた充実感と過信

医学部は大学生活が6年間あり、5年生、6年生は病院実習で忙しくなります。

部活を引退する同級生もいますが、私はようやく走れるようになってきたので陸上競技を続けました。

この頃には身長の伸びも完全に止まり182cmでした。体重は55kg前後で安定し、かなり細身であることには変わりないのですが大学に入った頃より筋肉が増えて、食事も比較的食べられるようになっていました。睡眠は安定せず、眠れない日の方がかなり多かったのですが、それでも眠気で生活に支障を来すまでの不眠ではありませんでした。

そうなると、これまでの私ならば過集中といえるほど陸上競技に打ち込んで、また心身の不調に陥るパターンが来るのですが、大学5,6年生の私はそうなりませんでした。

大学1年生の終わりにケガをした右太もも裏は結局完治せず、力が入りにくかったり、まっすぐに足が伸ばせない状態が続いていました。そのため体のバランスが崩れており、練習をすると別の箇所に痛みが強く出ました。「また大きなケガをしてしまったら怖い。」という恐怖心が強くて、限界を超えて完全に追い込みきるまでの練習を出来ませんでした。とはいってもそれなりには追い込んで練習しており、毎日足のどこかが痛いくて歩くのもぎこちない状態は苦痛で、陸上競技をやめる時に、「これで足が痛くても落ち込む必要がないんだ。」とホッとしましたが。

陸上競技選手としては全く結果が残せず歯がゆい思いはありましたが、小学生の頃のように陸上選手になる夢はなく、ただ途中棄権しないで完走出来るだけで毎回ホッとしている自分もいました。この時期に食事が摂れるようになったこと、練習や大会で吐かずに走りきることが出来るようになったことは私には少しですが支えになりました。

また、この時期は他大学の選手達と一緒に練習をして、一緒に遊びにも行ったり、陸上競技を通じて外との交流を多く持つことができた時期でもありました。私から積極的に声をかけるというよりも、周りの選手達が私に興味を持って声をかけてくれ、私を他の選手に紹介してくれて、という受け身な形ではありましたが人とのつながりを感じて少しずつ周囲と打ち解ける体験をしました。

共通の話題で人との交流を持っていたことも病状が悪化しなかった一因と感じています。

しかし、この時期にある程度回復したことで、私は「不調からは完全に脱した。吐いて走れなかった自分から生まれ変わった。もうあの頃のようにはならないだろう。」と過信もしました。ある程度までなら追い込んでも大丈夫じゃないか、むしろ追い込めないようだったら存在価値もないのではないかと考えて、疲労を溜め込みながら走っていました。

元来の自己評価の低さから、何をやってもダメな自分が出来ることは、人より追い込むことだけだと決めつけていました。

高校時代に勉強で限界を超えて追い込み続けていたことと同じように、陸上競技でも追い込もうとしていました。痛みが強く出て追い込みきれなかったために重症にはなりませんでしたが、ケガなく追い込んでいたら確実にうつ状態が悪化し、死にたいという気持ちが強く出ていたと思います。

ランニングに没頭する一方で、勉強に関してはやはりかろうじて留年を免れる、低空飛行の成績が続いていました。「走り過ぎて頭に酸素が回っていないから勉強出来ないんじゃない?」「高校時代本当に1位だったの?」と言われるほどで、完全に落ちこぼれていました。

そうはいっても、大学5,6年生は、病院実習をしながら卒業後の医師としての進路を決める時期でもありました。

元々精神科医を志していたのではなく、この時期に考えた結果として精神科を志望したのですが、次回はそのあたりのお話しをしていきます。

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