ランニングからの逃げ道として東大を目指す

進学校ということもあって、高校に進むと早くも受験モードに切り替わる同級生が増えました。私も陸上競技部を引退したので、早々に受験モードに切り替えたと周囲には思われていました。

しかし実際には、「ランニングから逃げたダメな奴。」「普通に走ることすら出来ないおかしな奴」、という気持ちが強く、受験に向けてスパッと頭を切り換えることは出来ていませんでした。

高校に入っても相変わらず走ることは出来ず、学校のスポーツテストで1500mを走っても途中で吐いてリタイアしたり、授業中の長距離走の途中で吐いて保健室に運ばれたりしていました。どうにか走りきった時でも、途中からは強い吐き気に襲われ自分のペースを維持することが出来なくなっていました。

普通に走ることは一生出来ないんだろうな、と考えると悲しくなりましたが、これ以上ランニングと向き合う気持ちにはなれず、背を向けて逃げました。

勉強は運動が出来ない奴が仕方なくやる格好悪いこと、と偏った思い込みのあった私ですが、他に頑張れるものもなく、悪ぶって夜遊びをするのも似合わないと感じたので、勉強をするしかないかな、と観念しました。

しかし、格好悪いことをやるのには自分で納得出来る理由が必要でした。そして勉強する理由は何か考えた末にたどり着いたのが、「スポーツをやるのなら乗り越えないと、とか病気じゃない、とか病院で言われたけど、吐いて走れなくなってつらいのは今でも続いている。いったい自分の体はどうなっているのだろう?もしかしたら医者になったらそれが分かるのではないか?」ということでした。

自分の体がどうなっているのかを解明するために医者を目指そう。医学部に行くためには勉強をしないと入れない。だから勉強を頑張ろう。これが私にとって一番しっくりくる理由でした。

医学部だったらどこでも良いと最初は思っていたのですが、私が医学部を目指すというと両親は関西では一番偏差値の高い京都大学を目指す前提で話しをして来ました。

私が小学生の頃には威圧的な態度で接していた父親ですが、この頃には以前のような威圧感はなくなっていました。その代わり、私の言動でショックを受けると顔色が悪くなり寝込むことがありました。

「浩之が京大に入ったら・・・」と私の大学進学後の話しをする親の言葉を聞く度、大学生になってまで親の顔色をうかがって、親が倒れたりしないようビクビクするのが情けなく思えました。

そこで、高校1年生の夏に私は「東京大学に行こう。東京なら親とは遠く離れて、自分のペースで生きられる。」と決意して、東大を目指すと公言するようになりました。

東大の難しさは漠然と聞いて知っていたので、「東大を目指すという口だけで中身の伴わない奴にならないよう、全てを捨てて東大合格だけを目指そう。」とも決意しました。

私の目指した東京大学理科3類(東大理3)前期試験は、80人しか入れない、東大の中でも特に難関科類でした。

東大合格のために無駄だと思えることは一切排除して、必要なことだけをやるようにしました。東大理3は私の通う高校から毎年1人受かるかどうか。ですから、学校で周りと同じことをしてはダメだと感じ、学校の授業さえも必要ないと考えておろそかにして、自分の思う勉強に取り組みました。

塾や予備校に行こうと考えた時期もありましたが、小学生の時に塾に通ってただ座っているだけだったことを思い出し、時間がもったいないと考えてひたすら自宅学習をしました。

先輩達の合格体験記を読み、どの問題集が良いか情報を仕入れて買い、繰り返し解きました。また、予備校が主催する東大対策の模擬試験の過去問を25年分入手し、試験本番と同じように時間を計って解きました。東大の入試本番の過去問は10年分くらい解きました。

中学受験の時もそうでしたが、過集中と言える状態で取り組みました。

陸上競技部を逃げるようにやめ、死にたい気持ちをずっと持ち続けてきた私は、勉強のやり過ぎで死ねるなら本望と考えていました。

そうやって追い込み続けることが、良い結果と悪い結果の両方をもたらしました。